シリアでIS残党が襲撃事件を起こす。市民も含め300人以上が死亡

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こんばんは。たっつーです。今日はシリアで起きたISによる襲撃事件について書いていきます。

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IS残党による襲撃

ISと言えば拠点である都市が攻略されてからすでに約一年が過ぎており、もはや完全に国際報道から捨て去られた存在だと思われていましたが未だに残党が存在しているようです。

今回の事件はシリアの町中で自爆テロによる犠牲者が出たほか、別の場所でIS戦闘員による襲撃事件も起きて市民や兵士、そしてIS戦闘員合わせて300人以上が死亡するという凄惨なものとなってしまいました。

しかも自爆テロの際は野菜売りを装い、人が集まってきたところで自爆したそうなので単純な自爆テロとは考えにくいでしょう。こうした自爆方法はおそらくより効果的な戦術として誰かに吹き込まれたものではないかと予想できます。ある程度の知略が張り巡らされた、まさにIS残党による新たな開戦と言えるかもしれません。

なぜ自爆を恐れないのか?

中東ではよく自爆テロが起きていますが、実行犯たちはなぜ自爆を恐れないのでしょうか?仮に痛みが一瞬だとしても、自分の近くにある爆弾を起爆するなんて普通ならば恐ろしすぎてできないはずです。

その答えは「宗教」にあると思っています。人は自分自身のためには出来なくても誰かのためならば犠牲をいとわないという一面があります。漫画で出てくるヒーローはこうした一面を描写したものですが、普通の人間であってもやり方次第ではこうした一面を引き出すことが出来ます。そのやり方というのが宗教です。

私たち日本人はあまり意識しづらいですが、宗教というものは人の心を形作るうえで重要なパーツとなっていることが多々あります。本当に信心深く、この世の何よりも神を大切にするという人ならば、その信仰を守るために自爆テロを恐れなくても不思議ではありません。宗教はときには人の理性を超えたところにも手を伸ばします。

そういう意味ではオウム真理教も近いと言えるかもしれません。宗教によって信徒を一種の洗脳状態に置き、普通では考えられないような事件を起こすという意味ではオウム真理教とISは親しい存在だと言えるでしょう。

また、イスラム教独自の理由もあります。イスラム教の教えの中には、信仰を守るための聖戦(ジハード)ならば、たとえその戦いで死んだとしても天国へ行けるというような考えがあります。つまり、この考え次第では自爆をしてもそれは聖戦なのだから天国に行けるという解釈も存在しうるのです。

しかし本来宗教というものは人の心を救うためのものであって他人を傷つけるためのものではありません。宗教が関わる争いがなくなるのを祈るばかりです。

以上、今日の記事は「シリアでIS残党が襲撃事件を起こす。市民も含め300人以上が死亡」でした。

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